統合失調症な社長が考える、「ちゃんとする」。
第三回となる今回は、
統合失調症の人でも「ちゃんとできる」ようになる、
私が自分自身の経験から考えだした、
具体的な方法をご紹介します。
前回までの記事でも書いたとおり、
私はもともとが大変ずぼらで、
大ざっぱなところがあります。
それでも、統合失調症という病気になる前は、
何とか自分の描く、
「ちゃんとしている人」として生活していました。
統合失調症は
楽しかったことすら苦痛に変えてしまう
私はもっと、
身なりを整えて、きちんとしていました
→ 毎日着る洋服や、それに合わせた髪型、
ピアスや靴や、バッグを選んで
装うことを楽しんでいました。
堅実な仕事に就いていました
→ 「雇われる」という形で働くことができていた、という意味で。
さまざまな業界、業種に身を置いて、
自分なりの目標を立てて、
それを実現することや
新しい経験を積むことを楽しんでいました。
家族の面倒を一生懸命見ていました
→ 家族の誰も、私抜きではやっていけない、
と言い切れるくらい、
自分の骨身を削って家族に尽くしていました。
学校に通って、知識や技術を学んでいました
→ 好奇心が旺盛で、
自分の知識欲を満たせる
学生という立場を楽しんでいました。
そのすべてが、
統合失調症の発症と同時に奪われたり、
捨て去られたりしたわけではありません。
でも、統合失調症になる前には楽しめていた
多くのことが、
統合失調症になってからは、楽しめないどころか
苦痛に感じるようになってしまいました。
統合失調症になる前と、同じようにしようとしても、
ほとんど不可能と思えることばかりです。
あなたにも、統合失調症になる前は、
何でもなかったこと、むしろ楽しめていたことが、
統合失調症になってからは
まったく関心がなくなってしまったり、
むしろ苦痛に感じるようになってしまったこと、
ありませんか。
それは、どんなことですか。
統合失調症が楽しみから
苦痛に変えてしまったことの中に、
あなたが思う、「ちゃんとしている人」でいるために
必要なことはありましたか。
私の場合、その、
統合失調症のために、とても大変になったことが、
私が思う、「ちゃんとしている人」の基準そのもの、
だったりするんですよね。
困ったことに。
私は、誰より、私自身が、
「うん、ちゃんとしてるね。」
と思って、自分を認めながら
生きていきたいんです。
どんなに難しくなったとしても、
自分の思い描く、「ちゃんとしている人」に
できるだけ近い自分でいたい。
あなたが、「ちゃんとしている人」でいたいかどうかは
ともかくとして、
「あの人は、ダメな人だねぇ。」
「まあ、統合失調症だから、
仕方がないけどね。」
と、他人から言われたりしたら辛いですよね。
そしてきっと、それより何より、
自分のことを自分で、
「自分は、統合失調症になってから、
何もちゃんとできなくなって、
すっかりダメな人間になってしまったな。」
と日々感じながら過ごさなければいけないとしたら、それは、
物理的に自分の一部をもぎ取られるように、削り取られるように、
辛く苦しいことです。
私も、統合失調症という病気との付き合い方が
まだまだ分からなかった頃、
本当に血が涙になって目から流れ出しているんじゃないか、
吐いたり吸ったりする空気の中に、
小さなガラスの破片が散りばめられているんじゃないか、
と思えるくらいに、毎日、毎分、毎秒が、
辛くて苦しくて、もうこれ以上は耐えられない、
と、死すら意識しながら過ごした時期がありました。
でも、死にたいわけじゃない。
ただ、この苦しみから解放されたいだけ・・・。
統合失調症という病気がどこへも行かないなら。
病気がもたらす不調を、止めることができないなら。
他にどんな方法で、
「ちゃんと」してい続けられるだろう。
私自身が、自分は「ちゃんとしている」と
満足できるようになるために、
統合失調症の私にできることは何だろう。
そう考えたとき、まず一番に思い浮かべたのは、
一日の終わりに、満たされた気持ちで、
笑顔で眠りにつける日々のことでした。
「どんな体調の日だろうと、何か満足できる材料を見つけて
それを持ってお布団に入ることができれば、
きっと自分を、『ちゃんと血の通った人間』と感じて
安心して眠りにつけるはず。」
そう考えはじめたのです。
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