「やり遂げた」という実感がもたらす深い満足と安心
「休むって本当に大切」の記事でも書いたとおり、
欲求が十分に満たされて、
その日、自分が成し遂げたことに満足をして、
穏やかな気持ちのまま
夢の中に迷い込んでいける。
胸いっぱいに喜びの花が咲いているような
幸せな一日の終わり。
例えば、仕事に大きな一区切りを
つけられた日があるとします。
そうすると、その日の夜、
心の底まで満ち足りて眠れるのは
お話したとおりです。
次の日の朝。
それなりの仕事を成し遂げるには、
それなりに気力を使いますから、
その分、疲れているものです。
そうして、
「仕事は一段落したし、
今日はちょっと、昼くらいまで
このままウトウトしていようかなぁ。」
と考えて、そのままお布団から出ないで
午前中いっぱいを過ごしたとします。
そんなとき、状況としては、
調子が悪くて布団から起き上がれないのと、
状況としては何も変わらないんです。
大きな仕事をやり遂げた次の日も、
調子の悪い日も、
していることは、長い時間、布団から出ずに、
特に何をするでもなく
時間が過ぎていくままに、
ただダラダラとしているだけです。
それでも、何も成し遂げたことのないまま、
ただ調子が悪くなってゴロゴロしているときと、
ひとつの仕事をやりきった次の日に、
心地よい疲れの中でゴロゴロしているときとでは、
大きな違いがあることは、
きっと簡単に想像していただけると思います。
特に調子が悪いわけではなかったけれど、
「何となく気が乗らない」とか、
「頭痛がひどいから」とか
言い訳を見つけてきては、
特に何も成し遂げられずに過ごしているうちに
本格的に調子が悪くなって寝込んでしまったとしたら・・・。
私はきっと、
「なんで、少しくらい、
仕事をしようと思わなかったんだろう。」
「頭が痛いのなくていつものことなのに。
ほら。
こんなふうに起き上がれないでいる状態に比べれば、
昨日まではまだ、何かできたじゃないの。」
と、それまでの自分を責めることを止められず、
休むどころではありません。
だからと言って、今さら起きだして
行動できるわけでもないから、
何をすることもできずに、朝から晩まで、
布団の中で、何もしないでいた自分を
責めて、呪って、過ごすことになります。
一方で、仕事を成し遂げた満足感を持って、
心地よい疲れの中でウトウトしているようなときは、
同じ、ただ布団の中でダラダラしている間も、
「それにしてもよくがんばったなぁ。」と
前の日の踏ん張りを思い出したり、
「想像以上に、いい仕上がりになったなぁ。」と
顔をほころばせたりしています。
統合失調症で、私のように、
体調に波があるとしたら。
体が砂袋みたいに思えるくらい、
重くてだるいとき。
頭の中で、ものすごい量の思考や情報が
竜巻のように飛び回り続けていて、
何ひとつ考えがまとまらないようなとき。
あなたは、
「何で自分が
こんな目に合わなきゃならないんだ。」
と、悔し涙で枕を濡らして
過ぎる時間にジリジリと焦りながら横たわっていたいですか。
それとも、
「仕上げた仕事から、
どんな結果が生まれるかな。
あぁ、楽しみだなぁ。」
と、また体調がよくなるときのことが
待ちきれないほどワクワクした気持ちで
柔らかい枕に顔をしずめていたいですか。
あなたが例えどんなに変わり者でも、
「私は自分の情けなさを呪って
過ごす日々を選びたい。」
とは、いくら何でも答えないでしょう。
誰だって、できることなら、
満ち足りた気持ちで、
休息を楽しみたいと思うはずです。
そのために、できることを
私の経験からひとつ、
お話することができます。
それは、梅雨の晴れ間のようにやって来る
統合失調症の合間の時期を
最大限に有効活用することです。
調子が悪いときを、
どれだけ穏やかで、満ち足りた気持ちで
過ごせるようになるかは、
「調子が悪いときに何をするか」
ではなくて、ほとんどすべて、
「調子がいいときに何をして過ごしたか」
で決まります。
あなたが統合失調症のために
具合が悪くなったり、
調子がわるくなったりするとき、
一番辛いのは、どんなことですか。
私も同じ統合失調症なのに
こんな質問をしているのは、
同じ統合失調症でも、
ひどく出る症状や、
耐え切れないほど大変だと思うことは、
少しずつ違ったりするからです。
>> 次ページ 「できるとき」に「できること」を「できるだけ」で穏やかな統合失調症生活を