今のヒプノセラピーや自己啓発セミナーの参加費用を見ると、げんなりとする。
自分を救いたければ、それだけの金を出せと言っているんだろうか。
ないやつはあきらめろよ、と。
まさに資本主義か。
とはいえ、昨今の時勢では無料と言われれば、それはそれで怖いものを感じてしまうが。
(引用元)http://cinemasanta.blog72.fc2.com/blog-entry-350.html
うーん。
この方の言う「資本主義」で集めたお金を
慈善的な活動に使っている人も大勢います。
そもそも、収入が多ければ多いほど、
たくさんの税金を納めています。
また、単純に稼いだお金で好きなものを買うだけでも
景気に貢献することになります。
ある人が何らかの価値を提供していて、
それが自分の命を救ってくれる、
人生をお金でははかれないほど豊かにしてくれる。
そのことを信じ、納得してお金を支払っている人と、
価値の対価としてお金を受け取っている人の関係に
外から何か言う、というのは
お金に対して「穢れ(けがれ)」などの意識があるか、
もっと分かりやすく
「あんなに儲けているなんて気に食わない」
という気持ちがあるからかの
どちらかではないでしょうか。
何か、過去に報酬を決して受け取らず
素晴らしい仕事を人々に施した存在を例に挙げて
「こんなに尊い精神の人もいる(た)というのに・・・」
と嘆いていらっしゃいます。
一方、その脇には、広告がびっしり貼られ、
チカチカしています。
引用元のブログ
http://cinemasanta.blog72.fc2.com/blog-entry-350.html
こうした広告自体、
「私のブログの情報が役に立ったら
広告のひとつもクリックして
私の収入をいくらか増やしてください」
という性質のものです。
「広告で得られる収入なんて微々たるものだ」
「多額の報酬を請求して
お金のない人はその価値の恩恵を
受けたくても受けられない形態を問題にしているのだ」
という点が、一番の反論になるでしょう。
それこそ、個人の自由。
自分の提供する価値にいくらの値段をつけようが。
貧しい人には無償または安く提供、という選択肢もある。
クーエにしても、その意を受け継いだコフマン嬢にしても、
飢え死にはせずに治療を長年続けられたようだから
何らかの形で、生きる糧は得ていたことはまちがいない。
こんなに崇高な人がいる一方で荒稼ぎしている人たちときたら、
と嘆きたくなる気持ちは分からないではないが、
こんなことを言ったところで
実際に稼いでいる人はこの方にはおそらく想像もつかないような
別の価値観を持っているので痛くも痒くもない。