だってメンドクサイから。
それに
メンドクサイって思われているかも
などと心配しながら
雇われて働くのもイヤですね。
だって実際に
自分が自分と一緒に働くとしたら
メンドクサイと感じるだろうなぁと感じるところが
たくさんあるんですもの。
精神障害者本人が言うのだから間違いないですよ。
わたくしは株式会社という形式で自分の会社を持って
代表取締役社長としてひとりで数種の事業を経営しているのですね。
<この図式に今のところ何の不自由もなく のちのち財団法人をいくつか起ち上げるまでは 実質人を雇う必要はありません。 (クラウドソーシングなどでの外注を除いて。)/p>
ただ
ひとつしたいことがあるのですね。
それは雇用を生み出すこと。
わたくし自身
働けないでいることで
「自分は社会のお荷物になってしまった」
「死んだほうがいいんじゃないか」
と
思いつめすぎて髪の毛がブチブチ抜けるほど
相当に悩んだ時期があったからかもしれません。
あとは
「スキマ時間」とか「ついで労働」とかの機会があると
今は働くことを諦めてしまっている人
たとえば小5と小3と2才児の
子育てをひとりでしているお母さん
なども
「今ちょっと手が空きました、働けます!」
という感じで
生き生きと社会につながっていけるような
仕組みがあったらいいなぁって。
そんな理想もあって
わざわざ雇用を生み出すため「だけ」にする
事業の準備も進めています。
ところで。
今の世の中には
50人以上を雇用している場合
その数の2%以上の障害者を雇い入れなさい
という法律があって
これを守らず障害者を雇わないと
最終的には企業名を公表されるという罰則が待っています。
現在のところ
身体障害者・知的障害者だけが
雇わなければいけない対象になっていて
精神障害者が対象になるのは平成30年の予定です。
うーん。
これほど現場に即していない法律もないですね。
(いや実際にはゴロゴロしていると思いますけれど。)
だって精神障害者を雇用したら
一緒に働く人たちの
仕事的・精神的負担が増えるのは目に見えています。
詳しい理由は下の記事に書きました。
http://togoshicchosyacho.com/anatawa-warukunai/
ひとことでいえば
精神障害者には精神的に未熟な人が多い
ということです。
もちろん障害がなくたって
精神的に未熟な人は大勢います。
ここでしているのは確率のお話です。
社会に参加したいのなら
自分側でするべき努力を
精神障害者本人も周りにいる人もあまり分かってすらいなくて
結果するべきこともしないで
権利ばっかり主張するという事例が多発していて
そんなのまっとうに努力している側からすれば
うんざりするしうっとうしいだけというお話です。
自分自身の経験から考えても
それまで必要がなかった保護が必要になる場面
というのは確かにあります。
わたくしの場合でいえばたとえば
調子が悪くていろいろ過敏になっているときには
外の世界と自分を遮断して
できるだけ安心できる環境を持てるようにする
なんてことです。
保護の種類によっては
自分や周りの人のちからだけでは難しくて
どうしても外部からの支援を必要としたり
外部からの支援があったら
とっても円滑に実現できることも多くあります。
自分に必要なことと
それを実現するために自分にできることを考えもしないで
ただやみくもに
「病気なんだ、障害者なんだ、特別扱いしろ」
と言われても困ってしまいますよね。
別に障害なんかなくたって
にんげん生きていれば大変なことのひとつやふたつ
誰でもあるのですもの。
たとえ助けたい気持ちがあったって
いつも助けられるとは限らないのが現実だと思います。
たとえば
重い荷物を持って怪談を登っているおばあちゃんを助けたいけれど
自分は今ホームに来ている電車にどうしても乗らなければ
お客様との約束に遅れてしまう
とかいうふうに。
世間なんてまったく冷たくないです。
ほんとうにあったかい人ばっかりですよ。
自分はずっと
甘えまくり・頼りまくりで楽しく生きさせてもらっているから
断言できます。
でも
それを当たり前と思ってしまったら違うよね
というお話なのです。
感謝するのはもちろん
自分ひとりの範疇でも
自分にできるだけのことは精いっぱいして
自分が人の中に入っていくときには
そこで自分ができることを
必死で探して一生懸命する。
そんなの別に特別なことじゃなく
ひとと関係を築くときには
当たり前のことですよね。
(じょうずにできるときばかりでもありませんけれど。)
だって自分と一緒にいる人が
自分のしたことで幸せになったり
「助かったよ」って言ってもらえたりして
嬉しくない人なんかいないと思います。
衝突してしまうことだってあるかもしれないけれど
お互いがお互いを
楽しませたり
なごませたり
助けたり
笑わせたり
刺激し合ったり
そういうことのために
人は人の中で過ごすのでしょう?
先ほどもご紹介しました
の記事でもお話したとおり
赤ちゃんじゃないんだから
相手からしてもらいっぱなしで
それが当たり前と思っているのでは
人間関係なんて成立しない
ましてやよい人間関係なんて
望むべくもないと思うのですね。
精神障害者には
どうもその考え方が抜け落ちてしまっている人が
あまりに多くてあいた口がふさがらないほどです。
精神障害者のわたくしが言うのもなんですけれど。
あの
それにひきかえ自分は立派だ!
と言いたいのではないですからね。
わたくしにだって至らないことはたくさんあります。
わたくしをいつも支えてくださっている方たちに聞けば
自覚しているよりもっといろいろ出てくるかもしれません。
でもそういう自分自身の至らなさを
病気や障害を理由に
なんの努力もせずにあぐらをかいて
許してもらって当然
という態度はどうだろう。
自分自身の至らなさから
統合失調症や精神障害を理由に逃げまわり続けるのは
けっして自分の幸せのためにはならない。
と思うわけです。
・・・同じようなことを繰り返してくどくなったし
題名と少しずれてきてしまいました。
仕事ができないのに威張り散らしている同僚とか
性格がむちゃくちゃ悪いのに
職場に馴染めないのをこちらのせいにして
上司に告げ口する同僚とか
いたらめんどくさいですよね。
絶対一緒に働きたくなんかないですよね。
でもあなたの働いている会社がもし
精神障害者を雇い入れたなら
そういう同僚が増える確率は
すっごく高いですよ。
それが分かっているから
もし自分の会社で人を雇うことになったとしても
わたくしはすすんで
精神障害者を雇いたい気持ちにはならないですね。
というお話でした。
あ、もちろん
なににだって例外はあって
一緒に働きたくなる精神障害者の方も
きっとたくさんいらっしゃるとは思いますよ。