具体的に、どんな感じで大変なの?
ある日突然、何にも楽しく感じられなくなるってこと、ありませんか。
ある瞬間、まるで自分から魂が抜けてしまっていったように、
目の前で起こっていることがぼんやりと、非現実的になることは?
そんな状態は、統合失調症なら、多くの方が経験していると思います。
私がそうなったときの、具体的な例を挙げてみますね。
●とにかく、ひとりにしてほしい。放っておいてほしくなる。
●視覚・聴覚・嗅覚・触覚までもが過敏になって、
見えるもの、聞こえるもの、匂いや触れられることなど
すべてが異様にうっとうしくなる。
●何を食べても、砂か泥を噛んでいるよう。
●何をしても実感がなくて、
さっきまでしていたはずのことでも
何をしていたのか思い出せない。
●徹夜でもしたようなだるさが一日中つきまとって
何をするのもすごく億劫(おっくう)。
●夢の中では生き生きと、自由に動き回れるから、
目が覚めた瞬間、現実に戻ったことにがっかりする。
●普段ならすごく楽しみにしているようなことでも
「どうでもいい。」「だから何?」と
イラつくくらい、おもしろさを感じられない。
今は調子がいい方なので、
調子が悪いときのことを、一生懸命に思い出して書いてみました。
いかがですか。あなたはいくつ、「そうそう!」と頷ける、
同じ状態を体験していますか。
他にどんな、「何とも言えないイヤな感じ」を
経験していますか。
いつもなら、
「楽しい!」
「するのが待ちきれない!」
と思っている愉しみも、
あなたの心を浮き立たせてくれるどころか
重たく垂れ込めて、心を押しつぶす黒い雲のように
感じられてしまうとき・・・。
楽しいことですら、重荷のようにあなたにのしかかるのに、
その状態で仕事をする、なんて
本当に、本当に大変なことです。
私は、自分も統合失調症のくせに
こんなことを言ったらおかしいかもしれないけれど、
統合失調症の人が、調子の悪い中、
どうにか仕事をこなそうとする姿を思い浮かべると、
涙が溢れてきて、鼻の奥が痛くなってしまいます。
私は、嘆いたって何も改善するわけじゃないし、
そんなことに時間や体力や気力を浪費するなら
もっと実のあることをしたいと考えます。
だから統合失調症についても、
統合失調症という病気がもたらす
さまざまな不調や不具合についても、
不平や不満は言いません。
それでも、統合失調症の人が、
調子の悪い中、必死で仕事をしようと
全身全霊でぶつかっていく姿を想像するとき、
「統合失調症というのは
本当に、なんて残酷な病気なんだろう!」
と、天を仰ぎたい気持ちになるのを
抑えることができません。
だって考えてもみてください。
必死で一日、何とか仕事をして家に帰ってきても、
食事も、お風呂も、寝ることさえも、
何も快く感じられなくて、
ただ習慣だからしているだけ。
まるで生きる屍(しかばね)のように。
こう書いていて、この状態というのは、
もしかすると、統合失調症ではない人にも、
想像がそんなに難しくない状態なのかも、
と、ふと思いました。
ありますよね。
ドラマなどで、仕事でクタクタに疲れ果てて、
終電でやっと家には辿り着いたものの、
扉を開けて中に入るなり、
玄関で倒れこんでしまう、なんて場面。
そんなとき、登場人物は、
パジャマ姿になって、ご飯を箸で口に運んでいる間も、
ボーっとして「ただ食べている」だけ。
彼女(彼)の向こうでは
テレビが賑やかに騒いでいますが、
目にも、耳にも、まったく入ってこない様子です。
そして、電気を消して、布団に入ったとき、
彼女(彼)の表情は、決まってこんなふうです。
「私(俺)、何のために生きてるんだろ」
仕事に追われ、上司に怒鳴られ、
何を楽しむ時間もなくただ過ぎていく毎日。
虚しくて虚しくてどうしようもないはずなのに、
涙さえ出てこない、泣くことさえできないほど、
心も体も疲れきってしまっている。
現代に生きる誰もが経験する可能性のある
そこまでの疲労状態。
統合失調症の人と、そうではない人の違いがあるとすれば、
統合失調症ではない人は、
仕事がきついとか、イヤな上司からいやみばかり聞かされるとか、
そんな毎日を送っている中、その上振られたとか、
具体的な理由があって
「もう何も感じられない、感じたくない。」
とまで思うほどの疲労状態になってしまうのに対して、
統合失調症の人は、特に具体的な事情が何もなくても
病気が勝手に、存分まで疲れさせてくれる、
ということでしょうか。
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